三角屋根の小さな家。
屋根の色は赤色にしようかな、と思う。
ところがそこにお節介な人がやってきて「あなたは間違えている。屋根の色は茶色がベストだ」と言ってきた。
「周囲との調和」とか「ペンキの価格」とか、もっともらしい理由を述べて、屋根の色は茶色が正しくて赤色は間違えている、と説くお節介。
・・・・・・何か間違えてるよね。
本当は、屋根の色なんて、好きな色を塗ればいいのよ。
「あなたは赤い屋根の家に住みたいんだね。私は茶色い屋根の家が好き」で済む話なのよ。
「正しさ」を持ち込む話じゃない。
「あなたの正解」と「私の正解」は違うんだから。
「みんな違って、みんないい」
大事なことだけど忘れがちだから、時々思い出すようにしたいね。
単純に「あの人の意見と私の意見は違う」だけで済む話なのに「あの人は間違えている(私は正しい)」をトッピングしたくなる時あるよね。— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2017年6月7日
本当はただ、違いを認めるだけでよかったりするんだよなぁ。必要のないものを上乗せして、勝手に人生を難しくしてるのは自分だったりして。気をつけたいね。
「正しさ」という物差しで世界を計ろうとする者は、すでに間違っているとさえ言えるだろう。— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2017年1月12日
「自分の物差しだけは絶対に間違っていない」という前提に立って世界を眺めているのだから。非常に傲慢で危険な発想だ。
本来、万人に等しく共通する正しさなど無いのだ。皆が自分の答えを持っていてよい。
「自分の生き方を貫くこと」と「他人の生き方を否定すること」は似てもいないし、むしろ真逆だ。— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2017年3月24日
自分の生き方を尊重してほしいなら、同様に、他者の生き方も尊重しよう。
みんな違ってOKです。
自論を押し通すために他者の意見を否定するやり方は、いずれブーメランのように跳ね返ってくる。
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